元従業員を訴えた会社に賠償命令、不当訴訟の要件について

はじめに

IT会社が鬱病で退職した元従業員の男性(28)に対し約1270万円の損害賠償を求めていた訴訟で横浜地裁は先月30日、原告の会社側に逆に110万円の支払を命じていました。提訴自体が不法行為に該当する不当訴訟。今回は不当訴訟として賠償が認められるための要件について見ていきます。

事件の概要

判決文等によりますと、元従業員の男性は2014年4月にIT企業である「プロシード」(神奈川)に入社しました。しかし長時間労働や上司によるパワハラといった劣悪な就業環境により鬱病を発症し同年12月に退職したとのことです。これに対し同社は翌2015年5月に「詐病で退社して会社に損害を与えた」として男性に約1270万円の損害賠償を求めて横浜地裁に提訴しました。男性側は訴状が届いた日から不眠に悩まされるようになり、精神的苦痛を受けたとして会社側に対し反訴を提起しておりました。

不当訴訟とは

民事訴訟において、提訴自体や口頭弁論での陳述、書面の提出等の訴訟行為が相手方に対する不法行為となる場合が存在します。これを一般に不当訴訟や濫訴と言います。通常は経済力等で優位に立つ者が、弱い立場の者に対して恫喝や嫌がらせ目的でなされるもので、内部告発を行った者や告発記事を掲載した出版社に対してなされたりすることもあります。欧米ではこのような訴訟をスラップ訴訟と呼び、表現の自由等に対する侵害であるとして問題視され、カリフォルニア州では反スラップ法が制定されております。日本においてはいまだスラップ訴訟という概念は一般に定着してはおりませんが、明らかに不当な訴訟行為は不法行為に該当するとして損害賠償が認められたケースが存在します。

不当訴訟の要件

日本において裁判所で裁判を受けることは憲法が保障する権利です(憲法32条)。それ故に裁判所に相手方を訴えるという行為は原則として賠償の対象となるものではありません。それではどのような場合に不当訴訟と認められるのでしょうか。判例によりますと、訴えの提起は原則として正当な行為とした上で、①提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くこと、②提訴者がそのことを知りながら又は通常人であれば容易に知り得たのにあえて提訴した等、裁判制度の趣旨目的に照らし著しく相当性を欠くと認められる場合に例外的に違法となるとしています(最判昭和63年1月26日)。つまりいわゆる無理筋で勝てる見込みがないとわかっていて、あるいは普通ならわかるところをあえて提訴に踏み切った場合が該当します。認められた例として会社代表者自ら預金の出し入れを指示していたのに、当該元従業員に対して横領したと訴えた事案です(広島高判平成25年12月24日)。これは自ら指示したことを認めつつ、あえてそれを提訴したことから認められました。

コメント

以上のように不当訴訟であると認められるための要件は相当厳格で、実際に認められた例は数例しかありません。提訴自体が本来正当な行為である上に、上記判例の要件の知っていてあえて提訴に踏み切ったとものであると立証することが相当困難であることが理由と言えます。本件で横浜地裁は会社側の「詐病で一方的に退社し損害が発生した」との主張に対し「会社側が主張する損害は生じ得ない」として会社の請求を棄却しました。会社の従業員が自らの意思で会社を退職することは原則として自由です。契約期間が決まっている派遣社員の場合等以外では法の手続を踏んだ退職によって従業員に賠償義務が生じることはありません。それにもかかわらずあえて提訴したことを裁判所が重視したものと思われます。企業にとって従業員は業務を遂行する上で欠かせない戦力であり、その育成にも相当のコストがかかっております。それ故に従業員の都合で退職された場合は企業にとって痛手となる場合が多々あると言えます。しかし本件のように元従業員に賠償を求めて提訴しても勝訴は不可能である上に、場合によっては逆に賠償を命じられ、企業イメージの低下にもつながります。従業員の退職に際しては、その点に注意が必要と言えるでしょう。

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