原発処理水放出問題に見る風評被害への補償
2023/09/08   危機管理, 行政対応, プロバイダ責任制限法, 食料品メーカー

はじめに


東京電力福島第一原子力発電所の建屋内にある処理水の海洋放出をめぐり、様々な議論が巻き起こっています。海外からも反応があり、一部の国では日本産の水産物の輸入を全面停止すると言及しています。こうした中、水産業者などからは不安の声が上がっており、風評被害が出ることを恐れる企業も多数あります。

今回に限らず、事件や事故・環境汚染・災害等にまつわる報道などにより、企業の商品・サービス、あるいは該当地域などが危険視され、企業等に経済的損害が生じるケースは少なくありません。風評被害に対する補償はどのように行われるべきなのでしょうか。

 

処理水放出をめぐり風評被害が懸念


東京電力福島第一原子力発電所では、2011年の東日本大地震による原発事故以来、燃料棒の冷却のために使用した放射性物質を含む水(以下、「汚染水」)がタンクに貯蔵され続けています。タンクの数は今や1000を超えているといいますが、東京電力は、同発電所の廃炉に向けて動いており、

(1)安全な廃炉作業のための新設備建設用の土地の確保(タンクが置かれていた土地の活用)
(2)自然災害によるタンク破損のリスクの回避

などを目的として、貯蔵された汚染水を安全基準を満たすよう処理したうえで海洋に放出したい考えを示していました。
これを受けて、政府は7月22日、処理水の放出作業を開始すると発表しました。

処理の具体的な内容としては、
・トリチウム以外の放射性物質を安全基準を満たすまで浄化する
・トリチウムについても安全基準(国の定めた安全基準の1/40、WHO飲料水基準の約1/7未満)を十分に満たすよう、処分する前に海水で大幅に薄める

としており、8月24日より放出が開始されています。処理水の放出は今後30年間にわたって行われるといわれています。

放出計画については国際原子力機関(IAEA)も承認していますが、日本国内だけでなく周辺国の漁業団体や水産業界団体からも反対の声が上がっています。その理由の一つが、処理水放出ポイントの近辺で採れた水産物の購入が敬遠されることへの懸念です。実際、中国は日本産水産物の輸入を全面停止する措置を講じると発表しています。

日本政府は水産業者に対し、これまでに漁業継続支援の500億円の基金や風評被害に対する300億円の基金を設けていますが、中国の輸入全面停止措置の影響を受けた水産業者に対する水産物の一時的な買い取り・保管・販売先の新規開拓などをサポートするべく、およそ207億円を追加で拠出する考えを表明しています。

 

風評被害とは?


今回の処理水放出で懸念される水産業者等への風評被害。風評被害とは、事件や災害が報道されたとき、消費者が「自身に危害が及ぶかもしれない」と思うことで、事実とは異なる情報を信じてしまい、そのために、モノの購買やサービス利用の敬遠、関係者への差別等が行われることを指します。

風評被害の具体的な内容としては、自社商材の不買による売上減少等の経済的なダメージが第一に想起されますが、その他にも、ブランドイメージの低下による新規顧客開拓の難易度上昇・株価下落・人材採用の難航・風評に嫌気がさした社員の退職など、被害の範囲は多岐に及びます。特に、誤った情報がインターネットやSNS上に放置されることで、長期にわたり企業のブランドイメージが下がり続けるおそれがあるため、要注意です。過去には以下のような事例が確認されています。

 

■カイワレ大根O-157事件
1996年に大阪府堺市で起きたO-157による食中毒。給食を食べた子が次々と発症し、児童7892人を含む9523人が罹患し、3人の児童が亡くなりました。当時の厚生大臣が感染症の原因はカイワレ大根の可能性があると発表したことで、街からカイワレ大根がなくなりました。
事件を受けて、カイワレ業者が国に賠償を求めた訴訟を起こしたのです。裁判では、ずさんな調査実態が明らかになり、カイワレが原因食材であることが確定的な事実だという印象を与えたのは注意義務に反するという理由で、大阪高裁、東京高裁ともに原告側が勝利し、後に最高裁でも確定しています。
東京高裁 平成15年5月21日判決(高裁判例集第56巻2号4頁)


 

風評被害に対する補償


風評被害に対する補償をまとめると以下のようになります。

(1)公益財団法人等による基金・民事協定や条例等による補償
事故や環境汚染などの発生が予見され風評被害が懸念されるケースで、事前に基金を設立し、あるいは民事協定や条例を定め、風評被害の発生時に速やかに損害を補償する制度です。

民事協定の例としては、原子力損害賠償法で補償されない風評被害についての補償を定めた「女川原子力発電所周辺の安全確保に関する協定書」、「泊発電所周辺の安全確保及び環境保全に関する協定書」、「志賀原子力発電所周辺の安全確保及び環境保全に関する協定書」、 「風評による被害対策に関する確認書」、「原子燃料サイクル施設立地の協力に関する基本協定書」などが挙げられます。また、条例については、香川県の直島町における風評被害対策条例(観光会社が不法投棄した産業廃棄物の溶解処理がもたらす漁業への風評被害をおそれた直島住民への補償を定めたもの)があります。

(2)行政による事後的公的補償
風評被害に関して政府行政により、事後的に直接の補償を行うものです。1954年にアメリカが行ったビキニ海域での水爆実験による第五福龍丸被爆事件を契機に、国内でマグロ等の魚介類全般の購買が敬遠され水産業者等に風評被害が生じた際、政府が直接補償を行った事例があります。

(3)行政による緊急融資制度
“融資”に分類されるため、厳密な意味で“補償”とはいえませんが、風評被害に対し、行政による緊急融資制度が頻繁に活用されています。
被害を受けた企業が金融機関からの借り入れが容易となるよう、①融資条件を緩和し利子の一部を助成する類型や②借り入れ限度額を引き上げる類型などがあります。

上記で紹介した補償以外に、民事訴訟の提起により風評被害による損害の回復を図ることも考えられますが、手続きが煩雑であること、勝訴判決を得るまでに長期を要すること、損害額や原因との因果関係の立証が難しいことなどから、ハードルの高さが指摘されています。

 

コメント


各国を巻き込んでの議論となっている今回の処理水放出問題。国同士の綱引きの様相も呈していますが、国内事業者を風評被害から守り補償することが重要になります。300億円の基金を管理する公益財団法人 水産物安定供給推進機構は9月4日、支援先を初めて採択し交付決定したと発表しました。今後の補償の動向にも要注目です。
 

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